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神話の力を読んで、読書感想文のようなもの。奴隷よ目覚めよ!

※このテキストは、サビアンシンボル絵本しし座サビはんに掲載したコラムの元になったものです。
ちょっと加筆修正しています。



英雄の旅とは何なのか。

私達はだれしも英雄になる資質を持って生まれてきた。幸福を求め、自分の神話を体験するためにわたしたちは生まれてきたのだ。その幸せは穏やかで平和であるとは限らない。戦って勝ち取る冒険と、栄光、あるいは失墜、そしてまた復活の、英雄のたどる道程に苦難の道である。
だが、わたしたちはみな、誰も彼もがヒーローでありヒロインなのだ。

そしてまた英雄の旅は、変容と進化の旅なのだ。
それは、誰にとっても起こりうる精神の旅だといえる。


 ヒーローらしく危険に自ら跳び込むように、自分から旅に出る冒険者もいれば、たとえば指輪物語なら、迎えに来たガンダルフに抵抗しつつ、しぶしぶ旅にでるビルボのような、勇敢さを内面に隠し持った一見臆病な冒険者もいる。

 一見、臆病で小心なビルボが、ここでガンダルフの要請に答えなかったら、彼の人生はどうなっただろう?振りかかる試練、この旅の召命を聞かないふりをしてやり過ごしてしまったら?そのあとどうなっただろう?おそらく、ただ繰り返す平凡でうんざりするような日常があるだけだ。

 あのとき、ガンダルフについて行ったらどうだったろう・・・?と、後悔しただろう。安定した日々、平穏な日常には、新しい可能性もなければ成長も変化もないからだ。

 召命を辞退した者は、自分は英雄の旅に出る器ではないと、自己卑下していたからかもしれない。わたしたちが指輪をめぐる旅や、ドラゴン退治や宝探しに憧れながらも、苦難の待つかもしれない恐れから、未知の旅を辞退してしまうとき。そのときは危険を逃れた気分でホッとするかもしれないが、時間がたつほどに胸に穴が開いたような空しさに苦しむことになる。

 自己嫌悪、自己卑下、自己評価の低さ、これは現代における最大の病といえるのではないか?

「現代の心理学者は誇大妄想という稀な症例には熱心に取り組むくせに、世間に蔓延する「自分は大した人間じゃない」という妄想は放棄している」ーというようなことをピアソンは書いていたと思う。
私達は誰もが各々特別な「才」というギフトを持って生まれてきた。それは単に「個性」と呼んでもいいだろう。

 しかしそのギフトは「旅」に出ないことには、安定と安心の中では見出すことができない。変化を乗り越えなければ、自分自身で使いこなせる能力にはなっていかないのだ。

 だが、わたしたちの多くが、そう、ほとんど誰もが自分自身の「個性」に対して自信を喪失している。人間の存在に優劣はないという真実のある一方、自分には何もないのではないか?という恐れを誰しもが抱くのはなぜか?

 自分の可能性についての、刷り込まれた思い込みを捨て、新しい人生を生きるための内在された力が、私達の深奥には十分にあるのだ。物質的な成功や、キャリアで人生の幸福を求めてもそれだけでは足りないなにかがある。

 そのような成功に価値がないとは言えないが、それだけではだめなのだ。真に人間性豊かに生きるためには、自分は財産がないとか、才能がないとか美しくないとか、自分は誰かに比べてとるにたりない価値のないものだという、無力感を生むだけの妄想を捨てて、自分の価値を認め自分の力を認めることだ。そして、自分自身に責任を持つことだ。

 宗教は「ひとに親切にしなさい」「汝の隣人を愛せよ」と説くが、自分を愛するように隣人を愛せというイエスの本当の意図を教えることは少ない。現代では、誰もが愛の本質を見失っているのだ。

 また普通、一般のカウンセラーは、疲れて社会不適応起こしているわたしたちを、仕事に復帰できるよう支援するが、現状をやりすためだけのために、自分自身の本質と向きあうことを避けさせて、ごまかし方の選択肢を増やすだけだ。

 決して、わたしたち個人の英雄の旅を支え、本来の自分を取り戻すことに力を貸してはくれない。むしろその進路を塞ごうと邪魔をする。なぜなら、それはとても素晴らしい変容の旅であると同時に、危険な旅でもあるからだ。そんなすばらしいものは、私の手にはおえません!というわけだ。

 しかし、人間性を高める道を邪魔するのものはもっと前から存在している。生徒を均一化して社会で使われやすい人材にしようと教育する学校制度がそうだ。そして、親もそうだろう。学校でみんなとうまくやっていけるように、愛する子供が社会から逸脱して苦難の道を歩まないようにと、親心で心を砕き個性を抑圧する。なぜなら、親も、教師もそうやって育ってきたからだ。そして口では、ありのままのあなたの個性がすばらしいといい、社会に適応しなさい人に合わせないと言う。私達はどうしていいかわからなくなり、迷ったあげく自分をだめな人間だと思い込み、精神のバランスを失いますます不適応を起こしていく。負のスパイラルだ。

 言ってしまえば、わたしたちは値踏みされているわけだ。私たち人間は世の中で、地位の高い者に高い値をつけられた方が、得をして楽ができることになっているからだ。だが、そこには人間性の豊かさも魂の高潔さも愛も見い出すことはできない。

 でも、大丈夫。そんなことをゆっくり考え込んでいる暇は私達現代人には与えられていない。わたしたちは常に休まずに働き続けなくてはならないからだ。決められたやるべきことをこなすだけで時間は過ぎていく。

 そして、疲れて家に帰ってすることはテレビを見ながら、ときどき湧いてくる不安を苦いビールで流し込む・・・。そんなふうに社会の仕組みはできている。仕事さえしていれば充実しているような気分になれるように仕向けられているのだ。ただの個人が、社会から逸脱せずにまともに生きようとすれば、自分の神話を求めて旅に出るなど、そんな余裕はどこにもない。

 わたしちは、自分の人生になにかが足りない気がするが、それがなんだかわからない。もどかしく、ただ無力感とむなしさに包まれる日々。極端なことを言えば、リストラされるとか、嗜癖の果てに破産するとか、自分が死にかけるか病気なるまで待つか、身近な人の病気や死に遭遇するまで、それは続くかもしれない。そんなことを続けるのは、人間として賢明なことだといえるだろうか。

 わたしたちはテレビで、新聞雑誌で、映画で、なにより生まれたときから接している親や周囲の大人たちから、大きな影響を受けて、その上に築いた自分自身の今を生きている。

 誰もが自分が何であるのかを気づくより早く、お行儀よくしなさい、子供らしく遊びなさい、お勉強しないさい、大人の話に口をはさむな、自分の意見くらい言いなさい、、、しなさい、してはいけません、というダブルバインドの禁止と命令で縛られて育つ。

 親は自分ができなかった「完璧な子供時代」をまるで我が子に託しているようだ。おねえちゃんなんだからしっかしなさい、お兄さんのように賢くしなさい、同級生のだれそれのように・・・と比較される。

 わたしはうまくできてるだろうか?正しくやれているだろうか?なにか間違ってないだろうか?平均的な基準に達してるだろうか?口には出さないけれど心のなかはいつも不安で一杯だ。頭のなかは言いたいけど言えない言葉で一杯だ。・・・・そんな子供時代を送ったのはわたしだけではないはずだ。

 自分以外の者になれという、この「比較基準」はおとなになっても作用する。モデルのような体型だけが美しいと思い込み、無理なダイエットで身体を壊す少女たち。雑誌の恋愛マニュアルを実践して彼女に嫌われてしまい自分を持てないと思う男の子たち。

 テレビのドラマのような恋愛ができない私は魅力がないのかと自分を卑下する女性。社会のなかでは自信を持って仕事をしているように見えても、どう評価されているのか、だれに負けてだれに勝っているのか、これでいいのかこのままでいいのかと、なにか他にやることがあるのじゃないかと、いつもいつも頭のなかはいつも不安と迷いで一杯だ。

 聖書のコリント信徒への第一の手紙にある。「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように理解し、幼子のように考えていた。おとなになった今、幼子のこころを棄ててしまった。わたしたちは、今は鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見る。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 わたしたちは誰かを基準に自分の能力をおしはかる癖がついてしまっているのだろう。テレビを見て、自分はあのタレントのように完璧ではないと思い、しなくてもいいダイエットをし、本当は関心のない流行りの習い事で、時間を無駄にする。そんなことにかかずらわっていては、本来の自分に至る道は遠のくばかりだ。そして、ダイエットの広告や英会話のCMの芸能人に引き寄せられ、いいカモにされている。

 そのあげく、なにをしても解決できないむなしさを、次には「無料ヒーリング」「わたしがあなたの傷を癒します」はたまた「ポジティブ思考で幸福を引き寄せよう!」と宣伝する人に引き寄せられて、カモられるのだ。お手軽なスピリチュアルビジネスにハマり込んでも、高額な自己啓発セミナーに出てみても、最終的には理想の自分なんかには至れないんだよ!わたしたちは奴隷ではなく英雄にならなくてはならないのだ。否、元々、誰もが英雄であった、そのことを思い出す旅に出なくてはならないのだ。

 本当に本当のことはとてもシンプルなんだ。自分を知るためにはただ頭のなかの「勘違いの理想像」をゴミ箱にすててしまうことだ、それらは全て外からあなたに、私たちに刷り込まれた偽物の理想の観念だからだ。まずそのことに気づいて、そこから脱却するのだ。自分が本来持って生まれた人間性を取り戻すためにはそれしかないというのに・・・わたしちはそれを外に求めようとする。そうやって、自分以外の何かになろうと無理をする。
このテキストは、しし座のサビはん本に掲載したコラムにちょっと加筆修正したものです。


 では、自分らしく生きるためにどうしたらいいのだろう。刷り込まれた古い観念を捨てるために、この社会の洗脳から抜けるために、私たちはなにをどうしたらいいのだろう。わたしは誰を、何をお手本に、この先へと、自分の旅を歩いていけばいいのだろう?

 本当の私はなにを求めているのだろう?わたしの愛はどこにあり、それはどんなものなんだろう?

そのヒントは、古来の神話に記されている。それは元型化されたパターンの中にある。

この、本当の私を見つける旅こそが、英雄の旅なのだ。


美しき緑の星 from Tobey on Vimeo.

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河童

Author:河童
河童です。

2014年4月おうし座のサビアンシンボルの絵本を自己出版しました。さし絵は吉田結妃さんの消しゴム版画でございます。タチヨミのページも用意してございますので、どうぞお立寄りくださいませ~。


職歴は、美容師の卵からはじまって、事務員、食堂のおばちゃん、パチンコ店員、居酒屋店員、占い師、介護職歴が一番長いです。

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